おてらくご

おてらくご=お寺+落語

落語の祖は、浄土宗西山派の僧侶、日快(『醒睡笑』)と言われています。

また、浄土真宗のお説教に「節談説教」という語りに独特な節や抑揚つけ、情感を喚起する伝統技法があり、演劇評論家の丸山治は「説教節は人形瑠璃の父であり、歌舞伎の母である」と言うほどに日本芸能と仏教、特に浄土真宗とは関係が深いのです。ちなみに念仏踊りが、徳島の阿波踊り、各地方の盆踊りや歌舞伎の原点であるほどです。

落語で使う「高座」とは元来僧侶が説教をする場を示していたのです。落語は、「仏教のお説教の形態を色濃く残した特別な芸能」(釈徹宗)なのです。

落語のすばらしさは、「踊る阿呆に見る阿呆」が示している通り、落語家が躊躇なく「アホさ」を表現してくれる姿に対し、我々の内に潜む「アホさ」が共鳴して、共感する一体感にあります。

この「アホさ」というのは、他人事だと思って安心して笑えるのですが、自分も「アホ」であることは、人前ではなかなか認めることが出来ない為、自分では表現できず、他人がやってくれていることで、無意識に腹の底から湧きおこり笑いに転ずるのです。(龍樹の戯論)つまり他者と自分が共振する、ひっくり返る(顛倒)現象です。アホさを持つ我々は、いくら表面を作っても凡夫の身である証拠です。

中世から近世にかけて戦国大名の側近に、御伽衆(おとぎしゅう)や御咄衆(おはなししゅう)として仕えた、噺家(はなしか)の原型がおりました。彼らは、規定の価値観をひっくり返す、つまり顛倒の役割を果たした現代版のトリックスター(道化師)であったのです。見方、とらえ方を変えなければ自己の変容は起こりません。また成長もありえないでしょう。優秀な戦国武将には、その機縁をもたらすはたらきが必要であり、僧侶や芸能者らが変容の役割を担ってきたのです。

当山西真寺は、堀直寄に随従して、飯山藩から長岡藩、そして村上藩に移りましたが、直寄は徳川将軍家の「御咄衆」であり、直寄の父直政(越後国主)の主君、堀秀治(ひではる)は真宗の僧侶でありました。この史実から見えてきたのは、堀家と浄土真宗の関わりと落語との接点です。堀家の菩提寺は、村上から村松に移った英林寺ですが、家中寺は当山でありました。直寄の人間観の背景には、仏教がもたらした顛倒の精神性が強く影響を及ぼしていたと考えられます。

この度、直寄と密接な関係にあった当山にて、おてらくご(おてら+らくご)を企画したのは、このようなつながりを現代にも表現して、仏教のはたらきを伝えて往きたい一心からです。

平成30年2月25日のおてらくご冒頭のあいさつより簡略抜粋

信飯山 西真寺 住職 本荘直広

*当日 噺家 新潟落語会 会長「水都家艶笑」(みなとやえんしょう)を招き一般公開、無料にて開催されました