この度、西真寺のホームページを開設させて頂きました 信飯山 西真寺住職の本荘と申します。このようなネットを通じてのご縁に巡り合わせて頂き、深く感謝申し上げる次第です。
私は、18年前迄一般企業の会社員でありましたが、バブル経済の影響を受け、三度の倒産を経験し、自力の無功を知ることに至りました。
その後、真宗 大谷派(東本願寺)寺院の住職であった義理の父の勧めにより、大谷派僧侶として仏道を歩み、仏縁による再生の道を歩む事が出来ました。
大谷派の寺院に勤めて16年目に当山である西真寺とご縁があり、入寺した直後に浄土真宗 本願寺派(西本願寺)へ転派する必要がありました。
転派する以前に、西本願寺の大学である武蔵野大学大学院で「仏教と心理学の接点」をケネス田中先生に学び、既に修士課程を修了しておりました。この為、本願寺の東西の間に教義的な違いはない、という確信めいた立脚地を頼りにして、転派を安易に考えていたのです。
しかし現実は、入寺して二か月で前住職と前坊守が相次いで亡くなり、引き継ぎができず、また東と西ではお経の発声(声明)や作法が全く異なるために、この二年間苦悩の連続でした。さらに追い打ちをかけるように私自身、甲状腺乳頭癌の摘出手術を受ける結果となったのです。中年の危機において自力無功を知り、その真実に出遭いながらも再度自分を頼りにし、苦しみを抱える状態に至ったのです。この気付きの過程を通じて、改めて仏の教えが身に染みています。この西真寺も歴史上、お東からお西に転派しており、当代の住職もはかり知れない苦しみの過程を抱えていたことに共感を覚えます。
これまで私は、二分する世界観、つまり一般社会と仏教に始まり、在家と僧侶、仏教(宗教)と心理学(科学)、大谷派と本願寺派あるいは悪性か良性かなどの両者の間で葛藤を重ねる仏縁に恵まれておりますので、何かと困難も伴いました。
しかし、一方で一般社会と寺あるいは、社会と仏教を結ぶ為の橋渡し役としての役割を担う自覚が芽生えており、ご門徒さん(お檀家さん)との関係性を築きながら、互いに困難を抱えて生きる道に立てる喜びを感じております。
また、世界や国の分断(二分)の現象が進む中、身近でも墓じまいや家族葬に象徴されるように、亡き人や他者との関わりを断つ現象は後を絶ちません。しかしながら、意外にも、ネットを通じてつながりを求める世代と、縁を大切にする思想を持つ仏教との共通性は、「不二」、つまり二分しない世界観にあるのです。
私自身、矛盾する二つの世界を抱えながら生きる道を経て、実際に寺や墓を護られている世代と、寺とは無縁な次世代間との閉ざされた部分を埋める、橋渡し役を担う道がそこに開かれたのだと思います。この二分する世界観の背景こそが、西真寺ホームページ開設に至る仏縁であり、理由でもあります。
親鸞聖人は自らを矛盾する「非僧非俗」と名のりました。聖人こそ、聖と俗世間の橋渡し役であり、「開かれた世界観」を示した仏教者であります。聖人のみ教えを伝える者として、常にあらゆる世代に「開かれた寺」を発信し続けることが、このホームページの役割に成ることを願いつつ、あいさつの言葉とさせて頂きます。
合掌
2018年12月 信飯山 西真寺
住職本荘直広