ヨガと仏教との関係は、紀元前4世紀から5世紀にかけて活躍したミロクとその弟子のムジャク、その弟のセシンによって「ユガギョウハ」が形成され、ヨガの実践が言葉で論理的に体系化されたことに始まります。
このセシンによって「すべてのことがらは、心によって生み出されたものである」という「唯識(ユイシキ)」(潜在意識)の思想に発展され、瞑想の中で仏を観る念仏が生まれたのです。
皆さん方は、瞑想というと坐禅のイメージをお持ちでしょうが、念仏も「念仏ざんまい」というくらい、ヨガの最終的なキョウチとおなじ意味になります。禅も禅定ざんまい、念仏も念仏ざんまいという程、ヨガと同じ「キョウチ」を目指しているのです。
なにがどう違うんだと聞かれれば、中国人は言葉で説明するのが苦手で、インド人は、言葉で論理化するのが好きという違いになります。
なぜなら禅宗は中国で生まれましたので言葉を立てませんが、念仏の教えである浄土教はインドで生まれた為、さとりを言葉で表現するからです。
現代の心理学や心理療法の原点は、瞑想による潜在意識を論理化した先ほど説明したユガギョウハ、「瑜伽行唯識派」であり、本堂右側の奥にかけてある軸に描かれている「セシン」の思想にあります。(上壇左:天親菩薩)
親鸞聖人は、世親(セシン)について、浄土教をインドから日本に伝えた善知識(ぜんちしき)、つまり、サトリに導くボサツのひとりとして説いています。ちなみに親鸞の「親」は世親の「親」を頂いた名前です。
前置きが長くなりましたが、お寺でのヨガでこそ、ヨガの背景にある思想や歴史に遇うことができる仏縁となり、深い世界を味わうことが出来ます。
ヨガは、心と体のバランスを整え、心の奥底にあるイメージを浮かべながら、このイメージと向き合い「本当の自分に出遭う」、言い換えれば「いつわりのない自己になる」ための行法です。
合掌
2017年11月26日 信飯山 西真寺 住職 本荘直広